嗚呼 卒業生
去る2月22日、33期卒業生の会合に出た。
人生の充実した時期を迎えられている皆さんに接し、有意義な一時を過した。私は担任をしたことがなく、参加者の顔名前は5分の1ぐらいしか判らなかった。型通りの挨拶が済み、立食テーブルでの歓談になると、そこここで話が沸騰する。
文化祭での押山君の演劇の話題、「熱海殺人事件」、社会科階段教室の俄作りの舞台で強烈なライトを浴びて熱演していた君たちがいた。後夜祭はなぜかいつも苦労した。
昼休みの屋上でグループ対立が硬化したが、教員が来たので、善福寺池近くの人通りの少ない路上に移動。あわや乱闘かというとき、S君が飛び出し、一言で和解成立。20人の若者が午後の授業に向かって走った。
クラブの話題は楽しい。危ない話が付きまとう。喧嘩、喫煙、飲酒などだ。部室は汗のすえた体育着の山。煙は消えるが臭いは残る。青春のゴミ溜め、伝説の宝庫という訳だ。
若鮎は成魚となって戻る。教員は先に生まれたから先に逝く。道理だ。
主賓の宇津木先生の穏やかなお話と、卒業生であり現職教員である小林邦久先生の挨拶で会は終わった。
「読書感想・最新版」
米国人ジョン・ダワー『忘却のしかた、記憶のしかた』外岡訳・岩波書店2013年8月刊と、2冊目同じ著者が20世紀末にまとめた『敗北を抱きしめて』三浦・高杉訳、岩波書店である。
前者は『戦後50年を機に日本とアメリカは、アジア太平洋戦争の記憶をどう呼びおこし、何を忘却してきたのか』という点から綴られた歴史学者の論文集である。後者は戦後の日本を懐かしい、悲しい、写真や挿絵、漫画、手記、短歌、川柳、かるたなどで移ろいゆく世相と人の心をとらえたもの、その上内容はとても堅い。両書は、自分史の大切な部分と重なっている。広範に亘って事実や論点が提示されている。もう一度文献に当ってじっくりと当時を辿ってみよう。人はみな時代の子だ。そんな気持ちがした。