近  況

元社会科 武部 尚人

 10月中旬、早朝一番の電車で奥多摩の高水三山(たかみずさんざん)に登った。軍畑(いくさばた)の
駅で下車の際、ホームとの間に左足がストンと落ちた。慌てたが直ぐに立ち上がって事なきを得た。
気づくと下車したのは自分一人、加えて無人の駅である。改札を出てからズボンをまくり、ケガの程
度を確認した。ヒザの下に手の平位の傷が幾つかと、左手の指の外側に負傷出血がある。常備の
マーキュロと絆創膏を取り出し処置をしてからハテと考えた。出端を挫かれて縁起でもないから中止
するか…と。が、出血はすぐ止まり痛みも左程ではないので、無理をせず慎重に行ける処まで行こ
うと決めた。
 登山口に入ると熊の目撃情報有りの貼り紙がある。二度あることは三度ある。あとひとつ何かあ
るナと思いつつ、一層用心をして登っていった。高水三山には以前一度、やはり一人で登ったこと
がある。小雨模様で展望は全くなく、下山路が急勾配だったことと、下山後の御嶽(みたけ)・玉川
屋のそばが旨かったことしか憶えていない。今回は岩茸石(いわたけいし)山の山頂で北面の眺望
がひらけ、棒ノ折(ぼうのおれ)山、川苔(かわのり)山、本仁田(ほにた)山が間近に大きく見られ、そ
こでおにぎりを食し休憩した。
 ところが、その後急坂が続くうちに突然右モモの裏の筋肉がツって痛みが走った。(ウッ、三つめ
が来た)と思いつつ筋を伸ばし、何とか痛みをやわらげたが、その後も何度か再発を繰り返し、つ
いには左足の方までツったのには困った。少し時間をとって治し、急がずに再発せぬように山を
下りた。
 帰宅後改めて振り返ると、前回のは三十年も前のことである。十年ひと昔というなら、大分昔と
いうことになる。体力もその間思った以上に衰えて来ているのだと思ったことだ。変化したのは自
分の体力だけではない。世の中も随分と変わった。学校も社会も、この国だけでなく世界も、特に
この二十年程で激変しつつある。現に今進行中である。たしか漱石が「このままゆけば、どこに
連れていかれるか分からない」と『文明の進歩』について警戒の念を表していたと思うが…。
そもそも世の中にとって、一体何が大切で何が大切でないのか…何が必要で何が必要ないのか。
その辺のところを忘れずに考えていないと、と日々思って居るところです。